☆ム・マン☆

*全ての虚者と∀の舞踏歌*
――今を仕舞うは永遠を躍る――
★地球の直径両極地点で同時刻に起こったヴェクトル美★
深夜の沙漠での出来事。
あたり一面、360度の砂地に、巨大で面妖な月がかかった。
細い細い、今しがた地平線から産まれたばかりの下弦の眉月であったが、両の目に映る砂丘の稜線の左右、端から端までギリギリ一杯、180度ほどの距離に離れて基底を持つ鋭角の光の頂点が、砂地からホンの少うし、小さな小さな砂粒一つ!浮かびながら、僅かで微かだけれど、力強くしなやかに、くっきりと充実した空間を魅せている。
その天空を見晴るかすような巨大な月は、美しい円弧を両際の双点から上空へと描いて、左右の切っ先を地平線スレスレに漂わせながら何時間も、その冷たく穏やかに放たれた光と朋に、沙漠を優しく懐擁くような仕種で、その全貌を微動だにしないのであった。
Ω・オーム・オメガの文字を天地に創出させた地点の、そのちょうど裏側、夜明け前の大海原に、異様な光景が現出した。
沙漠に浮かんだ眉月と同等に、これまた巨大で細い細い、こちらは上弦の弓張り月が、彼の地とは正反対に、弧線の中央を、陸地が一切見えぬ、大海洋の波頭にフレるかフレないかの際どい芸当を演じながら、時間を停止させたようにいつまでも、両の切っ先を天空に向けて高く高くそそり起っている。
地球の両極、片や大沙漠、片や大海原に現われた、この二つの怪異な光景は、似て非なる現象であろう。
沙漠の月は、永い永い闇を切り裂いて、虚空に佇んではみたものの、月自身がそれと氣付いた時、己と世界の存在を意識した時には、もう既にそこに在るという眞実に氣付いていなかったが為、深夜から夜明けまでの数時間、地球を停止させていたのであったが、日の出と朋に、月自身に意識が芽生え、日の光と意識の光の、双方が抱き合い、双方が熔け合うが如く、天界の寵愛を享受しながら吸い込まれるようにして消えて仕舞った。
一方の大洋の月は、誰にも氣付かれず、そこに存在している何かを、己自身が知る事は出来無いという事を、月自体が知っていたので、夜明け前に産まれ出でたその巨体を、夜が明けて陽が昇り、又、沈み始めても、消える事無く、不動に躍らせる事が出来たのであった。これら空奇しき未曾有の月たちの、策略と憧憬とは如何なるものなのか!?
このように反転投射された双子の月のヴィジョンを観想した仮の人が、月光に浸蝕されて生じた、不完全という財産を雛型にして紡ぎ編げたのが、この物語である。
何かが充満している眞空では無く、眞実きっぱり本当に何も無い、存在も非在も宇宙も謎も答も無い、そこからは未来永劫、観念も物質も産まれぬ、絶体絶命・正眞正銘の眞空、即ち『無』。それは、今ここに確かに在るにもかかわらず、生きている内はおろか、死んでから後でも到底届かぬほど、想像の彼方の遥か向こうに轟いて鳴る神智の輪舞が、宇宙背景輻射熱の如く遍満しながら、その正体を、仮の人の皮膜の内側までかすめては、まるで悟らせないぞとばかり、キッパリ無くなって仕舞った。
この仕儀から仮の人は、衝動と焦燥を、疑念と祈念を、悪魔のように恬淡と、天使のように濃厚と、彼自身を駆り立てる、自分自身が自分自身を呑み込んで無化して仕舞う、その兆候に陶然と耽溺しながら、儚く切なく震え続けるのであった。
「『眞』という字が、野たれ死んだ屍骸を意味するなら、この宇宙一杯に散らばる物質という名の、現象の屍骸をもってすれば、科学的『眞空』は強ち間違っていないかも知れぬ。だが、私の『眞空』にそんな猥雑さなど微塵も必要無いのだ。もっともっと超然として静謐の極致、そう!あらゆるオブジェが、地球上の洒落た物象やら天空の粋な象徴やらが、その表裏する愚劣で醜悪な恋人と朋に、綺麗さっぱり悉く消え去った、それこそが畢竟、純粋美のみ!の超絶樂園であり、私の『眞空』に相応しいのだ」と、偏執狂の滑稽さを露呈させて、仮の人の憑依された器官は、狂おしくも微笑みながら泣き叫ぶ。
静かな嗚咽を密かに味わう、仮の人の実相が呼び寄せたのか、今一人の人物が、仮の人の傍らに彼の影と重なるようにして出現した。彼の風貌は、老人でいて少年、死者であって胎児という、時空を異にした双方の霊魂と肉体の歴史を、それぞれ明確に粒起たせながら、渾然一体と溶け合わせ、氣まぐれで悪戯者の自然を装いながらも、唯一無比の絶対者のように振る舞うので、仮の人は彼、翁童を『イノセンス』と名づけ、答の無い答を解き明かす相手として、自分の影のように親しく接した。
「同じ木から同じ葉が落ちるのも、杯からこぼれた水が、又、その杯に戻るのも、それらは奇跡では無く、迷誤の歴史の暗い片隅に追いやられた事実であって、常識の罠に拘泥して、もう一つの世界を知る事も無く一生を終える、可哀相な奴隷根性の輩には不要の神秘なのだよ」そう翁童が教え諭す未来に向けて、「洞窟は地球の子宮なのです」と応対する仮の人の背後には、正三面体の月が忍び笑っていたのだった。
「うだるような熱さや凍てつく寒さでも、洞窟内では快適な温度が保たれ、強風も防いでくれますし、湿氣は火を絶やさない事で解決出来るのです。禅の祖師でアル達磨が、洞窟内で面壁七年の修行をしたのも、その心地好さから来る胎内瞑想であったに違いありません」
いやはや、非線型モデル。
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by hitohiso | 2015-09-02 13:57