☆ムマン☆未来は美しき過誤

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私に常に寄り添いながら、普段は遠い彼方に離れていて、その影さえ見せない仮の人の姿が、ふとしたはずみで顕(あらわ)れる瞬間があって、それがその朝、やはり唐突(とうとつ)にやってきた。
朝一番の鳥たちの囀(さえず)りには何か特別な意味が在るのではなかろうか?
早朝の鳥たちが交(か)わすハーモニーに、心ならずも動悸(どうき)を覚えながら歩く道すがら、真正面に鎮坐(ちんざ)まします見馴(な)れた石垣を摸造(もぞう)絵のようだなと感じた直後、左側宙空に正坐したように映る、ひらひらと舞い浮かぶ生物がいる。それは小さな小さな純白の羽であったが、地面と平行にふわふわと漂(ただよ)いながら、正面からの石垣を右側に、漂う羽を左側に、仮の人を境界にして分かれながら私の視界から遠ざかる様(さま)は、重力と拮抗(きっこう)して妙に不自然で、小鳥たちの野放図でいて厳格な挨拶(あいさつ)のように、個人的出来事を超えた素晴らしい前兆と受け取られた。
枝の先まで満開の櫻を頭上に、自身の足先を見据(す)えながら歩く仮の人の不様な日常の所作は、誰にも覚(さと)られぬよう、又、自身にも知られぬよう躍る事へのみ雪崩(なだ)れてゆくよう注がれるてはいるのだったが、未開のまま見開かれている櫻たちの目には自明の出来事であって、周知の事実を目の当たりにした彼等の眼に映る仮の人の振る舞いは、キチガイ・マチガイ・カンチガイの空奇(うつく)しい錯乱となるのであった。
土中に咲く根の観る世界から、天空を仰(あお)ぎ見る世界へと順次に堪え忍ぶ自然天然の大らかさとは裏腹に、狭隘(きょうあい)で閉塞(へいそく)した人類への憐憫(れんびん)を、仮の人は微塵(みじん)にも感じまいとするかのように項垂(うなだ)れながら、恍惚と冷厳に踏み拉(しだ)いてゆく。
「私は仮の人間だ。私は私でさえ無い。どこまでもいつまでも実の人にはなれぬ存在なのだ。死して仮の死者となり、仮の世に再生して仮の胎児となる。仮の神にも仮の悪魔にもなろう。眞への近似値、実への漸近(ぜんきん)線が私だ」
仮の人は無の形骸(けいがい)化した自身の姿を前方に運びながら、咲き誇る櫻を後にして黙想し続ける。思索(しさく)する事で漸(ようや)く保たれている彼の魂は、あの羽と石垣と朋に何処(いづこ)へともなく、いつのまにか消えて仕舞った。
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by hitohiso | 2013-01-03 17:47