☆ムマン☆音の策略(プラン)と憧憬(ロマン)

e0304099_17515974.jpg
双子の月のヴィジョンを観想した仮の人が、月光に浸蝕(しんしょく)されて生じた不完全という財産を雛型(モデル)にして紡(つむ)ぎ編(あ)げたのが、この物語である。

何かが充満している眞空では無く、眞実きっぱり本当に何も無い、存在も非在も宇宙も謎も答も無い、そこからは未来永劫、観念も物語も産まれぬ、絶体絶命・正真正銘の眞空、即(すなわ)ち『無』。
それは、今ここに確かに在るにもかかわらず、生きている内はおろか、死んでから後(のち)でも到底届かぬほど、想像の彼方の遥(はる)か向こうに轟(とどろ)いて鳴る神智の輪舞が、宇宙背景輻射熱の如(ごと)く遍満(へんまん)しながら、その正体を私の皮膜の内側まで翳(かす)めては、まるで悟らせないぞというばかり、あっさり消えて仕舞う・・・・
この仕儀(しぎ)から仮の人は、衝動と焦燥(しょうそう)を、疑念と祈念(きねん)を、悪魔のように恬淡(てんたん)と、天使のように濃厚と彼自身を駆り立てる、自分自身が自分自身を呑(の)み込み無化して仕舞う、その兆候(ちょうこう)に陶然(とうぜん)と耽溺(たんでき)しながら、儚(はかな)く切なく震え続けるのであった。
「『眞』という字が、野たれ死んだ屍骸(しがい)を意味するなら、この宇宙一杯に散らばる物質という名の現象の屍骸をもってすれば、科学的『眞空』は強(あなが)ち間違っていないかも知れぬ。だが、私の『眞空』にそんな猥雑(わいざつ)さなど微塵(みじん)も必要無い。もっともっと超然として静謐(サイレンス)の極致、そう!あらゆるオブジェが、地球上の洒落(しゃれ)た物象やら天空の粋(いき)な象徴やらが、その表裏する愚劣で醜悪な恋人と朋に、綺麗さっぱり悉(ことごと)く消え去った、それこそが畢竟(ひっきょう)、純粋『美』のみ!の超絶樂園であり、私の『眞空』に相応(ふさわ)しいのだ」
と、偏執狂(パラノイア)の滑稽(こっけい)さを露呈(ろてい)させて、仮の人の憑依(トランス)された器官は狂おしくも微笑みながら泣き叫ぶ。

静かな嗚咽(おえつ)を密(ひそ)かに味わう仮の人の実相が呼び寄せたのか、今一人の人物が、仮の人の傍(かたわ)らに彼の影と重なるようにして出現した。
彼の風貌は、老人でいて少年、死者であって胎児という時空を異にした双方の霊魂と肉体の歴史を、それぞれ明確に粒起(つぶだ)たせながら渾然(こんぜん)一体と溶け合わせ、氣まぐれで悪戯(いたずら)者の自然を装(よそお)いながらも、唯一無比の絶対者のように振る舞うので、仮の人は彼、翁童(おうどう)を『イノセンス』と名づけ、答の無い答を解き明かす相手として、自分の影のように親しく接した。
「同じ木から同じ葉が落ちるのも、杯からこぼれた水が又その杯に戻るのも、それらは奇跡(ミラクル)ではなく、迷誤(トリック)の歴史の暗い片隅に追いやられた事実であって、常識の罠(トラップ)に拘泥(こうでい)して、もう一つの世界を知る事も無く一生を終える可哀相な奴隷根性の輩(やから)には不要の神秘(トリップ)なのだよ」
そう、翁童(イノセンス)が教え諭(さと)す未来に向けて、
「洞窟は地球の子宮なのです」
と応対した仮の人の背後には、正三面体の月が忍び笑っていた。
「うだるような熱さや凍(い)てつく寒さでも、洞窟内では快適な温度が保たれ、強風も防いでくれますし、湿氣は火を絶やさない事で解決出来るのです。禅の祖師である達磨(ダルマ)が、洞窟内で面壁七年の修行をしたのも、その心地好さから来る胎内瞑想であったに違いありません」
[PR]
by hitohiso | 2013-01-03 17:52